4月15日は、ジャッキー・ロビンソンDAY


4月15日は、ジャッキー・ロビンソンDAYでした。「アフリカ系アメリカ人初のメジャー・リーガー」と言われています。正確には、1900年以降の「近代メジャー・リーグ」における「アフリカ系アメリカ人初のメジャー・リーガー」という事です。選手としても様々なタイトルを獲得しております。選手プロフィール・右投・右打。ポジション二塁手、一塁手。1945年にブルックリン・ドジャース傘下のAAA級モントリオール・ロイヤルズへ入団します。1946年3月17日アフリカ系アメリカ人として20世紀初の入場料を、必要とするオープン戦に出場します。でも、この頃のアメリカでは、まだ「白人選手と黒人選手が一緒にプレーする事を禁止する条例が、ありました。翌年1947年4月10日ドジャースが、ロビンソンをメジャーへ昇格させる事を発表します。そして同年4月15日本拠地デビューします。しかし、MLBのオーナー会議では、ドジャースを除く全15球団が、ロビンソンがメジャーでプレイすることに反対していました。中には、ロビンソンが出場するなら、対戦拒否すると通告するチームもありました。しかし、当時のコミッショナー、ハッピー・チャンドラーは、ドジャースを指示、ナショナル・リーグ会長のフォード・フリックが、対戦拒否したら出場停止処分を課すと、発言し事態の沈静化を図りました。また、ドジャース監督のレオ・ドローチャーは「選手の肌の色は、関係無い。自分は、このチームの監督である。優秀な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行って欲しい。」と発言しました。1948年には、ストライクの判定を巡って、ロビンソンとチームメイトは抗議し続けてたため、審判は「警告」しました。が、その後もロビンソンだけは、抗議を続けて退場になりましたが、その際「黒人と言う理由で退場させられなっかた為、嬉しかった。」と話ました。1949年には、首位打者と盗塁王を獲得しました。MVPにも選出されましたし、黒人選手として、「ロイ・キャンパネラ」「ドン・ニューカム」「ラリー・トビー」と共にオールスターゲームに出場します。1954年まで6年連続で、出場しています。1955年には、ワールド・シリーズで、ヤンキースを破り、球団初のワールドチャンピオンの一員となります。1956年引退します。時代背景から、人種差別で苦しんだ事もあったそうです。1962年には、野球殿堂入りしました。1987年からMLBの新人王は、「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名が付けられました。1997年4月15日は、ロビンソンがメジャー・デビューから50周年で、ロビンソンの背番号「42」が、全球団で永久欠番になりました。2004年4月15日MLBはこの日を「ジャッキー・ロビンソンDAY」と制定しました。2007年にケン・グリフィーJr選手からコミッショナーへの提案で、4月15日に希望する選手が背番号「42」を付け試合に出場しました。2009年には、全選手が「42」を付けて出場しました。今年は、コロナの影響で、メジャーがまだ開幕していないので全選手が、背番号「42」を付けて、プレーする姿が見れず残念ですが、この日の背番号「42」を付けてプレーする日本人選手の姿を、見ていきましょう。